2010年5月12日水曜日

ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン


ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン

「オレが一番とは思わないさ。でも最高なんだ。」
”ザ・キラー”ジェリー・リー・ルイスは、そう言っていた。”ザ・キング”エルヴィス・プレスリーもそう思っていただろう。夜中に家にやってきて拳銃を振り回さなくてもね。

ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン>は、ロックンロールの歴史に燦然と輝く金字塔、ただの金字塔ではない。「ロード・オブ・ザ・リング」に登場する塔のようにいつまでも妖しく燃え続ける金字塔だ。
エルヴィスは、それを知っていた。燃えるピアノも、自身の燃やされたアセテートのレコードの山も忘れなかっただろう。

正式にカヴァーするのは遅かったが、オヤジと呼ばれる前には間に合った。(父親にはなっていたが)やり過ぎないのが礼儀だ。

1956年、「歌っていると勝手に身体が動くんだ」とエルヴィスは言った。それは「危害を加えないし、気が狂っているわけでもない」という意味だ。エルヴィスは確信犯だった。

1957年には、サンレコードの後輩、ジェリー・リー・ルイスは、ピアノを壊し、燃やしながら、「演技じゃない、音楽のせいだ」と言ったのだ。すべてはロックンロールのせいなんだと言いたげだ。誰が信じるだろう?ロックンロールを燃やし続けていたのは、”ザ・キング”であり、”ザ・キラー”の方だった。

ロックンロールは、疾走感がいのちだ。エルヴィスがメンフィス・ライブでやったロックンロール・メドレーを聴いたらよく分かる。なにより楽しくなければね。人は何かをなすために失わずにやり遂げることはできない。台所で皿を洗う間にだって失っている。就職先を探す間、失うものは少なくない。ロックンロールは失った自分へのオマージュであり、一心同体愛だ。

<ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン>が、「ELVIS COUNTRY」に収録された。アルバムカヴァーには3歳のエルヴィスと両親が写った写真が引用された。でもなにかが抜けている。目に見えないが、ここにいる3人にとって失ったものが写っているのだ。なによりエルヴィスの兄がいない。

エルヴィス・プレスリーは中年期を乗り越えなければならない時期に立っていた。中年期、さらにその先にある残酷な季節を乗り越えるために、エルヴィスには見失った自分を再発見して、これからの半生を生き抜く支えを取り戻しひとつになる必要があった。エルヴィスは1957年の夏に燃えていたピアノのなかに、消えた自分を見ていたのかも知れない。
それ行け!エルヴィス、究極の自分を取り戻せ、一心同体の愛をつかむのさ。

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